ルーペと鳥瞰図

日記と作り話のようなもの。

不機嫌の椅子

「出会えてよかったね」

「よかったね」

こちらには白ワインのグラス、向こうにはビールのジョッキが残るテーブルを挟んで私たちは座っていた。4日間の旅の最終日、泊まっているホテルから40分のメトロとバスを乗り継いで、20分炎天下の中辿り着いた、保護地区に指定され要予約の海水浴場から帰ってきて、やっとテーブルに着いたのが21時過ぎだった。

これで2人の旅行は3回目で、2年に一度くらい複数泊できたら良いペースだよね、と言っている。ヨーロッパに住んでいると、旅行費用に関しては国境が県境くらいの感覚になるから、目的地はいつもフランス国内に留まらなかった。旅行の計画が苦手な恋人と目的地が決まったのは、3週間前だった。

イタリアは猛暑の夏。夜と昼間の温度差があまりなく、日中は33度を下回らない。おまけに1日目は、ホテルのエアコンがすごい匂いを発していて、すぐに切ってしまったおかげで、暑さ、寝不足で2日目の朝を迎えた。いつもインドア派の人に、ガイドブックにあるようなコースを全て達成できるようなエネルギーがあるわけはなく、歩いては食べて、歩いてはカフェに入りをしていたにも関わらず、港町の湿気と気温差のない気候に慣れておらず、最高にバテていた。

旅行にはハプニングが付きものだし、それをどう乗り越えるのか、またはやり過ごしながら楽しむかが醍醐味なんだろう、と3日目に太陽に照らされながら恋人が行った。確信を持った言い方だったのは、始まりから予期せぬ出来事が続いたからだろう。乗るはずの飛行機がテクニカルな問題でキャンセルされ、1時間以上何も情報が全くないまま過ごさなければならず、目的地で食べるはずだったお昼を小さな空港で食べて、5時間の遅延便でやっと着いた猛暑のイタリアのホテルのエアコンから汚水の匂いがしてきたら、誰もがそうも思うだろう。

何をしにどこへ行く、何をどこで食べる、何を。。。。。全てが自由だと、全てが自分たちの意思任せになる。(フランスではパッケージの旅行はあまり聞かない。)それから、相手がいると交渉の連続。日常なら、選択肢を想像できて、ある程度の条件が揃うと、その交渉をすっ飛ばせる。例えば、夕食。できる材料が決まっていて、出かけたくないし、今日はとっても暑いから、冷やしうどんにしよう、と即決できるような。どんなに時間を過ごした相手でも、「せっかくの旅行なんだから」が常についてまわり、条件は無理にでもなんとでもしようとしてしまう。どんなに「ゆっくり、焦らず過ごそう」と確認していても。そして、その決断の積み重ねがどうしても面倒臭くなり、不機嫌の元となる。

田辺聖子の「もう荷造りはすませて」の中で、主人公の女性が「二人とも不機嫌になることはできない」と言っている。「どっちか先にそこへ坐ってしまったら、あとは立っていなければならない椅子とり遊び」だそうだ。2人とも不機嫌になったら収集がつかない。4日間、いくらお腹が減っていようとも、熱波のせいで体力が奪われても、不機嫌の椅子は使われることなく、すごく楽しく過ごせた。

最後の夜、美味しいパスタ、マルゲリータピザ、お酒も相俟って、

「出会えてよかったね」

と口からついて出たのだった。

 

 

 

蟹味噌

夏休みに入った。入ってから2週間が過ぎた。

今年2月3月は空っぽで、何をやるにも気持ちが入らず、それでも、ワークショップを開催したり、最終原稿を出したり、学会発表の応募をしてアクセプトされ個人発表をまとめ、その後で学年末の書類をまとめたり、フィールドワークの応募をしたり、雑誌に投稿するためのレジュメを書いたりした。

ここまでで7月末。

7月終わりの週にイタリアに初めて旅行に行き、暑い暑い夏と久しぶりの海水浴をして、帰ってきた。その直後、義理兄がパリに来るというので部屋の大掃除に追われ(人を招くと家が綺麗になる)、3日間の滞在という大仕事を終え、現在。

9月に始まる新学期の準備をしなくてはならない。

私の研究のモチベーションはどこかに行ったまま帰ってこない。

ツイッターでフォローしている研究者の毎日のツイートを見て感心して終わる。

読書もままならない。

脳みそが蟹味噌のようにドロドロになって(カニに恨みがあるわけではないが)、何も思考がストップしている。

何かを作り出したいとか、ニュースを見て思うこともたくさんあるのに、なぜかそれを表明することが憚られる。ジャッジメントを恐れているのかなんなのか。

自分の思いを発信するのがとても怖い。

もう少し、正義のためとか、差別に対抗するためとか、信条が勝ってほしい。

出来事をただただ俯瞰して、自分で思い、カニ歩きをするだけの日々。何も正面から闘っていない。悔しいな

 

気分転換

気分転換がこんなに下手だと思っていなかった。

博士課程に入って、学会などの個人発表や論文掲載などにエントリーすることが多くなった。エントリーするまでにこれでもかと考えに考えてまとめて出したレジュメや論文が、専門分野の研究者によって精査され、返答が返ってくる。

そのレビューについて、後から見ると建設的でより発表や論文が改善されるようなコメントが返ってきているのだけれど、それをそのように消化できるまでに、ものすごく時間がかかってしまう。項目ごとに点数がついていることが多く、なかなかシビアである。その点数に衝撃を受けて、レビューが返ってきた瞬間は、コメントも「正しく」理解することができなくなってしまっている。

考えに考えて「よしっ」と思って提出したものに、痛いところをつくコメントが返ってくるのだから、冷静に受け止められないのもしょうがないのかもしれない。ただ、ショックを受けてしまい、モチベーションや研究に対して後ろ向きになってしまう期間が長すぎる。

今回も3週間かかってしまった。これから書き直して、3週間後に提出である。リジェクトじゃなかったのだから喜ぶべきで、もう少し早めにコメントを冷静に「正しく」理解できれば、いいのだけどなぁと、いつも思う。いただいたコメントも今日もう一度見直すと、すごく前向きな部分もあり、頑張ろうとも思えた。

幼い頃は怒っていたことや喧嘩していたことを翌日に引き摺らなずケロッとしているから、母が偉くありがたかったと後に言っていたくらいだったのに。

大人になって経済状況も影響しているのかもしれない。なかなかキチキチで暮らしているので、自分に服を買ったりアクセサリーを買ったりというのがなかなかない、ということにも最近気づいたのは、Twitterで見かけた「どうせ死ぬんだから、好きなもの全部買った」というようなツイートがきっかけだった。私がフォローしてる方がlikeしたツイートだったようで、ソースが載せられないのだけど、ありがたかった。パリもやっと冬が明けて(多分)、青い空の日が多くなって、春夏らしい服を見たくなったのもあるかもしれない。自分のためにお金を使おうと思って、街に出て色々試着して一つ白とクリーム色の中間の色のトップスを買った。必需品以外にお金を使ったのは、なかなか久しぶりだった。

先週末は、イースターで3連休だったこともあって、研究のことを3日間一切考えなかったのもとても良かったかもしれない。修士の時の指導教官は必ずバカンスを取っていたっけ。

バランスを色々なところで取れるようになれるといいなと思った。

いただいたレビューにも、誠実に応えられるように、またやってみよう。

 

 

 

夏時間

フランスでは先週の日曜日に夏時間に入り、1時間進ませた。

月曜が始まり、朝起きた時にどうしてもふわふわした気分でどうにも落ち着かず、それでも、朝からビザ関係の手続きの準備を始めていた。急に胸の中心に圧迫感を感じ、何か痛いような苦しいような感覚がして、血の気が引くような感じになり、ベッドに横になった。胸の苦しさはずっと続き、ネットで調べ出すといいことないと思っても、指はスマホの上で動いていた。「胸の中心 圧迫感 原因」。案の定、いろんな結果がすぐ出てくる。10分たち、30分たち、1時間経ち、何も変わらないので、諦めて好きな歌を聴いたりしていた。

お昼になってもお腹も空かないのは、ちょっとおかしい、やっぱりビザの手続きはこれだけプレッシャーがかかるのかもしれない。色々、思いを巡らせながら、ぶつぶつと彼に話し出すと、やっと涙も出てきた。おぉ、これだったか。

色々考えると、今月初めから、歯医者の手術、それに続く抗生物質の服用、鎮痛剤、抗炎症剤など、薬漬けだったこともあり、いろいろ疲れてはいた。

14時過ぎにやっと起き上がって、昨日の夕飯の残りのご飯を食べた。あと1時間で、歯医者に出発して、抜糸しに行かなくてはなくてはならない。気合の意味も込めてメイクを施し、歯を磨いていると、舌が黒くなっていることに気づく。おぉ、なかなかすごいな。またネットを参照すると、抗生物質の過多でそうなることがあるらしい。抗生物質をやめて4日ぐらい経ってるんだけどな。

冬時間から夏時間への変更のタイミングで、色々来たなと思った次第。フランスは夏時間の廃止を発表して2年くらい経つけど、実施には至っていない。

色々うまく行かないことは重なるな。

抜糸をして、すぐメトロに乗りたくなくて、レピュブリック駅まで20分くらい歩いた。レピュブリック広場のモニュメントは、ウクライナの国旗が着せられていた。

帰宅すると、胸の痛みは薄らいでいた

 

Place de la République_28.03.2022

 

日常への帰還

パリに戻った。パンデミックな世界で5ヶ月のフィールドワークを終えて、灰色の空と冷たい空気のパリに戻ってきた。すでに生活の基盤を外国に移して8年以上がたったのに、いつも母と別れるときは遣る瀬無い気持ちになる。これは、両親が私の幼い頃に離婚しているとか、母とは以前一時期私の精神的な理由から連絡を絶っていたからとか、そういうことと関係しているのかは分からないけれど、育ててくれた親の住んでいる国と私が住む国が違うというのは、そのことを改めて認識する場面になって、とてもつらいものがある。なぜ私はこの選択をしたのか。最寄りの駅から出ている羽田空港直行のバスの窓から見送る母を見ると、そういう疑問が湧いてくる。本能的には私の選択に確信を持っているからバスを降りることはないし、こんな気持ちを母に語ることもないけれど、感謝とか親孝行などという言葉からは程遠いことしかできていない自分に対して熱い何かが点火する前に、いつも空港に着いてしまう。パリに着くと、日常が待っていてその地理的・時間的な距離に甘えて、熱い何かも込み上げてくる瞬間もなくなってしまう。何をやっているのだろうと思いながら、論文や発表原稿にもほとんど手につかず、遣る瀬無さばかりがうずくばかりの日曜日。

カテゴリーからの解放とその失敗

朝、ケータイのアラームで目を覚まし、そのままSNSのアプリ画面を開いて20分くらい眺めるのが癖になっている。感染症の影響で、通勤は週に一回になり移動の時間がいらなくなってから習慣になった。今朝は、SNSではなくてメッセージアプリの30件余の通知が気になった。唯一入っている学生時代の友人たちのメッセージグループの通知だった。開くとそこには、子ども、家購入、結婚の話題がたくさんあって、私にはキラキラしたキーワードの羅列にしか映らなかった。私はそのどのキーワードがある環境にもいなくて、安定した職もない。どのメッセージにも返事することも躊躇われて読んでそのままになっている。異国の地で色々と模索をして、社会的なカテゴリーによって生じる格差や差別を研究しているにも関わらず、私は同級生からのメッセージを読んで少なからず打撃を受けていることに、余計にもやもやした。"キラキラ"キーワードを語れる環境にいることを、私は確かに羨ましいと思っているらしかった。

ベッドから這い上がると、左肩から上腕にかけて痺れを感じた。家でのデスクワークと、外出制限措置によってあまり外に出る機会がここ1年なくなった。初めのうちは、幼い頃からやっていたバレエのバーレッスンやらストレッチやらやっていたけれど、続かなかった。1年もどこにも行けないでいると、色々なものが蓄積されるらしく、もやもやが晴れない日々が続いていた。先のベッドで読んだメッセージの小さな刺激も甚く重くのしかかっているらしかった。ぼーっと朝ごはんのルイボスティーとトーストを用意していると、中身の入ったマグカップを持ち上げた途端、それは右手のひらからスルッと抜け落ち、食パンを載せたお皿を直撃し、バウンドしてから床で粉々になった。朝からものすごい音がキッチンに響いた、気がした。ルイボスティー漬けになった食パンと割れたお皿、粉々になったマグカップと水浸しになった床が広がっていた。

トイレから出てきた彼が、心配そうに見にきた。怪我なかった?掃除機取ってくるよ。

私はこの人と子どもを育ててみたいと改めて思っていた。

 

パリの街角で見かけるグラフィティ

パリの街を歩いていると、様々なストリートアートやグラフィティを目にする。

日本で見かけた(今もある?)ような「夜露四苦」といったものは、メトロのトンネルやトラックの側面に描かれているのを見かけるが、一味違った可愛らしいと思ってしまうようなものもある。

 

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傘の落書き(?)

普段、携帯の写真機能を使うのにすぐに考えが至らない私でも、ふと保存したくなってしまうグラフィティがパリにはたくさんある気がする。ディズニーキャラクターを捩ったようなものや、オリジナルの作品と呼んでしまいたくようなもの、きっと全て違法なんだろうけど、「こんなのもある!」と写真に納めたくなってしまう。

 

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きのこと星の王子さま(?)

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アイスを求めて(?)

 

言いたいことを壁に

一方で、主張のあるものもたくさん見かける。

下の一枚は、イエローベスト運動(2018年11月から始まる石油増税に反対する社会運動)の時にとった写真。デモが行われていた毎週土曜日は多くの商店は閉店しガラスを割られないよう、板で保護していた。この頃、デモはシャンゼリゼ通り近くに集中していたのは確かだが、レピュブリック広場からデモが始まることも多かったと記憶している。撮影場所は、レピュブリック広場の近く。歯医者さんのガラスに張られた木製の保護板に、「マクロン、お前の歯を叩き割ってやる!(拙訳)」とある。

 

 

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"Macron, on va te péter les dents !"

(graffiti trouvé lors des mobilisations gilets jaunes en 2018)

イエローベスト運動について、日本の報道では、デモの参加者のセンセーショナルな商店のガラスを割る、シャンゼリゼ通りの敷石を剥ぎ取って投げるなどの行動に集中していたような印象を持つが、フランスでは警察の暴力性(催涙ガスや空砲の乱用、暴力的なデモの制圧など)も問題になっていた。

政府の方針転換によってイエローベスト運動は徐々に収束していく。石油に対する増税案は、環境問題に配慮するという政府の方針から出たものだったが、公共交通機関の乏しい都市以外の地域や、物価が安いため地方に住み都市に働きに出ている人々、職業柄、車を必要としている人々、その多くは富裕層に属さない。この運動から、経済格差問題と環境問題を分けて考えることはできないと改めて感じた。フランスは、ディーゼルエンジンからハイブリットへの以降もまだできていない。月々の支払いで手一杯の人々に、新しい車購入を促したり、石油増税を提案したりするのは、無理な話でその怒りを表した一つの形がイエローベスト運動だったと感じている。

 

 

社会運動は続く…

2019年12月には、今度は政府が打ち出した年金改革に反対するストやデモが始まる。

下の一枚は、レピュブリック広場で撮ったもの。左側は、「資本主義は戦争だ。私たちは勝つ(拙訳)」、右側「マクロン、フランスはお前の娼婦じゃない(拙訳)」と書いてある。

この年金改革は、格差を広げてしまうことを危惧してRATPパリ交通公団(メトロやバスなどパリの公共交通機関を運営)や、SNCFフランス国有鉄道が主体となってストを実行し。長く続くストの間、いくら汚くても(!!)メトロは便利なものだなぁと改めて感じた。クリスマス休暇を境に、RATPやSNCFが動き出したが、新型コロナウィルスCovid19の世界的流行で、フランスは3月17日に外出制限措置が取られ、マクロン大統領は年金改革案の検討は一時保留と発表した。

 

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"Le capitalisme, c'est la guerre. On va la gagner"/ "Macron, la France n'est pas ta pute" (graffitis trouvés lors des grèves contre la réforme des retraites en 2019)

 

 

フェミニスム運動に関連して

2017年から世界的に#Metoo運動反フェミサイド運動が盛んとなったが、新型コロナウィルスの影響で女性に対するDVや、性暴力がより可視化された。フランスでは、DV被害を訴えられない状況にある人々に対し、薬局で「マスク19」といえばDV被害を被害者に代わり薬局が治安維持隊に通報してくれるシステムが整った。個人的には、2020年年始ごろから、以下のようなグラフィティを見かけるようになった。

 

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Aimer ≠ tuer (愛する ≠ 殺す)

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"Stop Feminicides" (Stop Femicidesと書きたかったか... )

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"Non c'est non" (ノーはノーだ)

 

 

こうしてパリの街を落書き(?)の視点から見てみると、社会の動きがわかって来ることがある。インターネット、新聞媒体、テレビ、ラジオ、SNSいろんなメディアがあるが、グラフィティもメディアの役割を持ってしまっているかもしれない。

2ヶ月の外出制限の間は、無闇に出歩けなかったが、自分の携帯の写真アプリを開くと楽しくなったり、社会を理解したりするきっかけとなるグラフィティが結構あるので、億劫にならずに写真を集めて行こうと思う。

 

 

最後に、一枚。

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お風呂に入りたい

 

おわり