ルーペと鳥瞰図

日記と作り話のようなもの。

カテゴリーからの解放とその失敗

朝、ケータイのアラームで目を覚まし、そのままSNSのアプリ画面を開いて20分くらい眺めるのが癖になっている。感染症の影響で、通勤は週に一回になり移動の時間がいらなくなってから習慣になった。今朝は、SNSではなくてメッセージアプリの30件余の通知が気になった。唯一入っている学生時代の友人たちのメッセージグループの通知だった。開くとそこには、子ども、家購入、結婚の話題がたくさんあって、私にはキラキラしたキーワードの羅列にしか映らなかった。私はそのどのキーワードがある環境にもいなくて、安定した職もない。どのメッセージにも返事することも躊躇われて読んでそのままになっている。異国の地で色々と模索をして、社会的なカテゴリーによって生じる格差や差別を研究しているにも関わらず、私は同級生からのメッセージを読んで少なからず打撃を受けていることに、余計にもやもやした。"キラキラ"キーワードを語れる環境にいることを、私は確かに羨ましいと思っているらしかった。

ベッドから這い上がると、左肩から上腕にかけて痺れを感じた。家でのデスクワークと、外出制限措置によってあまり外に出る機会がここ1年なくなった。初めのうちは、幼い頃からやっていたバレエのバーレッスンやらストレッチやらやっていたけれど、続かなかった。1年もどこにも行けないでいると、色々なものが蓄積されるらしく、もやもやが晴れない日々が続いていた。先のベッドで読んだメッセージの小さな刺激も甚く重くのしかかっているらしかった。ぼーっと朝ごはんのルイボスティーとトーストを用意していると、中身の入ったマグカップを持ち上げた途端、それは右手のひらからスルッと抜け落ち、食パンを載せたお皿を直撃し、バウンドしてから床で粉々になった。朝からものすごい音がキッチンに響いた、気がした。ルイボスティー漬けになった食パンと割れたお皿、粉々になったマグカップと水浸しになった床が広がっていた。

トイレから出てきた彼が、心配そうに見にきた。怪我なかった?掃除機取ってくるよ。

私はこの人と子どもを育ててみたいと改めて思っていた。