ルーペと鳥瞰図

日記と作り話のようなもの。

レールから外れる

何かになれると思っていたけど、私は私のままずっといるだけだったし、これからもそうだと思う。

一時帰国している間に会った友人は、日本で病みに病んで、それからいろんなことを経て、移住して10年が経つ。そのずっと前になるが、彼女は、鶏ガラみたいに痩せたかと思ったら、ふっくらしてお餅みたいに膨らんでみたり、それでも私にとって彼女は彼女だったのだが、彼女自身はどの状態でも落ち着きがないようで、どの状態でも理想とかけ離れていると思っているらしかった。それから10年以上が経って、彼女は自分に納得していると言った。

自分が納得してればなんでも良いんだって思えた。他人といろんなことを比べて、社会のみんながいいって言ってること、例えば痩せてるとか、可愛いとか、みんなが「良い」って思ってる人に近づきたかった。

私から見れば、彼女は親族に可愛がられて、クラスでも美人と言われるようなタイプで、それでいて謙虚で、とにかく嫌う人を見たことがなかった。

それが嫌だった。親族からも「いい子だねー」と言われ、クラスからも一目置かれているのを感じ取って、でも現実の自分の理想とはかけ離れているから、謙虚に振る舞うになっちゃうじゃん。最初はなんでみんな私をそんなに構うんだろうって思ってたけど、そのうちに、みんなの基準と自分の理想を自分に課して、理想でいっぱいにしたら、二十歳の時に破裂したんだよね。電車も乗れなくなったし、物も正常に食べられなくなって、人とも会えなくなった。ただ、消費してるだけの価値のない、生産性のない人間になったんだ、と思った。今から思えば、「生産性」なんて言葉、掃き溜めに埋めて燃やしてしまえと思うけど、その頃はそうもいかなかった。社会が合ってると思ってたのかな。日本を出たから治りましたーなんて本当にちゃっちい物語だけど、そういうこともあるんだよって言いたい。海外組からの揶揄って思われそうだけど。。劇的に環境を変えるタイミングが良くて、そういうことを理解してくれておまけにお金を援助してくれる母親がいて、ものすごい恵まれてると思う。小さい時は、何者かになりたいみたいな感じがあったと言うか、みんなの期待に自分も乗っかりたかったけど。今は社会に溢れてるカテゴリーを剥がしていってるところで、年齢とかジェンダー規範とか色々、多分そう言うのが一番重かったから。

こう言う彼女に私はどんな形でも表に出て発信してほしいけど、そういうのは嫌だと即答された。自分をさらけ出せるほどまだ強くない、らしい。私からすれば、知り合い一人いない国に飛び込んで、社会システム、税制、保険が全然違う環境で、サバイバルして、元気に生きてる彼女はよほど強いと言いたかったけど、あぁそうか、これは私が思ってる強さで合って、彼女の強さは別にあるのかもしれないと思って言うのを辞めた。きっと、まわりから散々、強いねーと言われているに違いないから。